研究成果

糖尿病網膜症発症に関わるゲノム領域を同定 -新たな予防法・治療薬開発の足がかりに-

 理化学研究所(理研)生命医科学研究センター糖尿病・代謝ゲノム疾患研究チームの堀越桃子チームリーダー、前田士郎客員研究員(琉球大学大学院医学研究科教授)、今村美菜子客員研究員(琉球大学大学院医学研究科准教授)、東京大学医学部附属病院の山内敏正教授、東京大学の門脇孝名誉教授(虎の門病院院長)らの共同研究グループは、日本人の2型糖尿病[1]患者を対象としたゲノムワイド関連解析(GWAS)[2] を行い、「糖尿病網膜症[3]」の発症に関わる二つの疾患感受性ゲノム領域[4]を新たに同定しました。
 本研究成果は、糖尿病網膜症の新しい予防法や治療薬の開発につながると期待できます。
 糖尿病の合併症の一つである糖尿病網膜症の発症には遺伝要因が関与していることが知られていますが、どのような遺伝因子が関与するかはよく分かっていませんでした。
 今回、共同研究グループは、日本人2型糖尿病患者1万1097人のゲノムを用いて一塩基多型(SNP)[5]を網羅的に解析し、別の日本人2型糖尿病患者2,983人のゲノムを用いた検証解析を経て、糖尿病網膜症の疾患感受性に関連する二つのゲノム領域(STT3B、PALM2)を同定しました。この解析は、糖尿病網膜症のGWASとしては世界最大規模となります。また、SNPと疾患との関連を遺伝子単位で解析した結果、EHD3遺伝子と糖尿病網膜症との関連も明らかになりました。
 本研究は、科学雑誌『Human Molecular Genetics』オンライン版(2月19日付)に掲載されました。

本研究で明らかになった糖尿病網膜症と関連する二つのゲノム領域
※共同研究グループ
理化学研究所 生命医科学研究センター  糖尿病・代謝ゲノム疾患研究チーム 
 チームリーダー    堀越 桃子 (ほりこし ももこ)
 客員研究員      前田 士郎 (まえだ しろう)(琉球大学大学院 医学研究科 先進ゲノム検査医学講座 教授)
 客員研究員      今村 美菜子(いまむら みなこ)(琉球大学大学院 医学研究科 先進ゲノム検査医学講座 准教授)

東京大学医学部附属病院 糖尿病・代謝内科
 教授               山内 敏正 (やまうち としまさ)(東京大学大学院 医学系研究科 内科学専攻 生体防御腫瘍内科学講座 教授)

東京大学
 名誉教授             門脇 孝  (かどわき たかし)(虎の門病院 院長)

研究支援
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)ゲノム医療実現推進プラットフォーム事業「糖尿病の遺伝・環境因子の包括的解析から日本発次世代型精密医療を実現するプロジェクト(代表者:門脇孝)」による支援を受けて行われました。

1.背景

 糖尿病が進行すると、網膜症、腎症、神経障害といった合併症を発症する場合があります。現在、日本における糖尿病の患者数は約1000万人に上り注1)、そのうち約15~23%が「糖尿病網膜症」を発症していると推計されています注2-3)。糖尿病網膜症は日本での代表的な成人の失明原因の一つであり、比較的若い働き盛り世代で視力の障害が起こることが知られています。
 糖尿病網膜症の予防の基本は、糖尿病患者の血糖値を厳格にコントロールすることです。しかし、糖尿病網膜症には遺伝的要因も関与しており、同じような血糖値コントロール状況においても、その発症・進展には個人差が認められます。これまでに国内外の研究機関において、ゲノムワイド関連解析(GWAS)という統計的な手法を用いた糖尿病網膜症の遺伝的要因の解明が試みられてきました。しかし、過去の研究の大部分は日本人以外の集団を対象としたものであり、小規模の解析にとどまっていました。

注1)  厚生労働省 国民健康・栄養調査 平成28年 https://www.mhlw.go.jp/content/000681180.pdf
注2)  安田美穂:あたらしい眼科,33(9),1247-1251, 2016
注3) Kawasaki R, Wang JJ, Wong TY, et al. Diabetes Obes Metab. 10(6):514-5, 2008

2.研究手法と成果                             

 共同研究グループはまず、1万1097人の日本人2型糖尿病患者のゲノムを用いて、一塩基多型(SNP)の網羅的な解析を行いました。この解析は糖尿病網膜症GWASとしては世界最大規模のものです。具体的にはバイオバンクジャパン[6]に登録されている2型糖尿病患者のうち、糖尿病網膜症を発症した5,532人、網膜症を発症していない5,565人のゲノムDNAサンプルを用いて、GWASを行いました(図1)。


図1 糖尿病網膜症のゲノムワイド関連解析(GWAS)の結果
各SNPと糖尿病網膜症の関連を調べるゲノムワイド関連解析の結果。横軸にヒトゲノム染色体上の位置、縦軸に各SNPの糖尿病網膜症との関連の強さを示した。グラフの上にあるほど関連が高いことを示す。青の実線より上に位置する85か所について検証解析を行った。

 ヒトゲノム全体をカバーする約580万カ所のSNPの中から、糖尿病網膜症の発症に関わると考えられる有力な85カ所を選び、さらに別の日本人2型糖尿病患者(糖尿病網膜症群2,260人、対照群 723人)を追加して検証解析を行いました。そして、GWASと検証解析の結果をメタ解析[7]で統合した結果、二つのゲノム領域(STT3BおよびPALM2)が 糖尿病網膜症の疾患感受性とゲノムワイド水準(p = 5×10-8)[8]を超える関連を持つことを発見しました(図2)。


図2 糖尿病網膜症と関連する二つのゲノム領域
横軸にヒトゲノム染色体上の位置、縦軸に各SNPの糖尿病網膜症との関連の強さを示した。赤のダイヤモンド()はGWASと検証解析の結果を統合したメタ解析で、rs12630354(STT3B)およびrs140508424(PALM2)の関連がゲノムワイド水準(p = 5×10-8)を超えたことを示す。

 さらに、1万1097人の網羅的なSNPデータを用いてgene-based association analysis[9]という統計学的手法により、糖尿病網膜症とSNPの関連を遺伝子単位で解析しました。1万8480個の遺伝子を対象に解析した結果、EHD3遺伝子が糖尿病網膜症発症と関連することが明らかになりました(図3)。


図3  遺伝子単位での関連解析
遺伝子ごとの糖尿病網膜症の関連について網羅的に検討を行った。図では一つの点が遺伝子を意味しており、横軸に染色体上の位置、縦軸に遺伝子の関連の強さを示している。赤い点線はこの解析での有意水準を示す。EHD3遺伝子が糖尿病網膜症発症に関連していることが分かった。

3.今後の期待

 本研究により、糖尿病網膜症との関連が明らかになった二つのゲノム領域(STT3BおよびPALM2)やEHD3遺伝子がどのように糖尿病網膜症発症に関わるか、そのメカニズムを解明することで、糖尿病網膜症に対する新しい治療薬の開発に貢献する可能性があります。
 また、今後GWASの研究をさらに推進することで、糖尿病網膜症に関連するSNPの情報を組み合わせて糖尿病網膜症発症の傾向を予測し、遺伝的リスクに応じた予防対策を講じる精密医療[10]につながると期待できます。

4.論文情報 

<タイトル>
Genome-Wide Association Studies Identify Two Novel Loci Conferring Susceptibility to Diabetic Retinopathy in Japanese Patients with Type 2 Diabetes
<著者名>
Minako Imamura, Atsushi Takahashi, Masatoshi Matsunami, Momoko Horikoshi, Minoru Iwata, Shin-ichi Araki, Masao Toyoda, Gayatri Susarla, Jeeyun Ahn, Kyu Hyung Park, Jinwha Kong, Sanghoon Moon, Lucia Sobrin on behalf of the international Diabetic Retinopathy and Genetics CONsortium (iDRAGON), Toshimasa Yamauchi, Kazuyuki Tobe, Hiroshi Maegawa, Takashi Kadowaki, Shiro Maeda
<雑誌>
Human Molecular Genetics
<DOI> 
10.1093/hmg/ddab044

5.補足説明                                

[1] 2型糖尿病
糖尿病は、大きく1型糖尿病、2型糖尿病、その他の特定の機序や疾患による糖尿病、妊娠糖尿病の四つに分類されている。2型糖尿病は、インスリン分泌低下とインスリン抵抗性(インスリンの働きが悪くなること)が合わさり、血糖値が上昇し、発症する。発症には、遺伝因子(家系)と環境因子(過食、肥満、運動不足などの生活習慣)の両者が深く関わっている。日本の糖尿病患者数は約1000万人で、そのうち90%以上は2型糖尿病であると考えられている。2019年現在、日本では34万人以上が慢性透析療法を受けており、そのうちの約4割は糖尿病が原因とされる。さらに、糖尿病が原因で失明や視力障害、下肢切断に至る例も多く、生活の質(QOL)の低下、あるいは健康寿命の短縮の大きな要因となっている。

[2] ゲノムワイド関連解析(GWAS)
疾患感受性遺伝子を見つける代表的な方法。ヒトゲノムを網羅した数百万~1000万の一塩基多型を対象に、対象サンプル群における疾患との因果関係を評価できる。2002年に世界で初めて理化学研究所で実施された手法であり、以後世界中で精力的に実施されている。GWASはGenome-Wide Association Studyの略。

[3] 糖尿病網膜症
糖尿病の三大合併症(網膜症・腎症・神経障害)の一つであり、糖尿病発症後5〜10年を経過する頃から出現する。高血糖が長期にわたり持続することで、眼の奥にある網膜の毛細血管に障害が起こり、進行すると視力に影響を及ぼし失明に至ることもある。緑内障、網膜色素変性症に次ぐ、日本人の失明原因の第3位である。

[4] 疾患感受性ゲノム領域
ゲノムはある生物が持つ遺伝情報のこと。ヒトの全遺伝情報であるヒトゲノムは、約30億の塩基配列(A、G、C、Tの並び)で構成されている。疾患感受性ゲノム領域は、疾患の発症しやすさに関連している染色体上の領域のこと。

[5] 一塩基多型(SNP)
ヒトの染色体にある全DNA情報(ヒトゲノム)は、30億にもおよぶ文字の並び(塩基配列)で構成されている。この文字の並びは暗号(遺伝情報)となっており、その99.7%は全人類で共通だが、0.3%程度に個人差(遺伝子多型)のあることが分かっている。多くの遺伝子多型は違っていても影響はないが、一部は病気にかかりやすいことなどに関係していると考えられている。一塩基多型(SNP=スニップ)とは、その文字の並びが一つだけ異なっているもので、30億塩基の並びの中におよそ1000万カ所ある。SNPはSingle Nucleotide Polymorphismの略。

[6] バイオバンクジャパン
オーダーメイド医療実現化プロジェクトの基盤となるDNAサンプルや血清サンプルを47疾患(延べ約20万人)から収集し、臨床情報とともに保管している世界でも有数の資源バンク。

[7] メタ解析
二つ以上の統計解析結果を合わせる際に、それぞれの解析結果のばらつきを補正し、偏りのない合算をする統計学的手法。

[8] ゲノムワイド水準(p = 5×10-8)
通常の解析の有意水準は、0.05未満を使用する。これは関係がない確率が5%未満という意味であり、100個のSNPを調べると全く関係がなくても偶然に5個(5%)は関係があると誤って判断されてしまう可能性がある(偽陽性)。そこでゲノムワイド関連解析では、通常の判定基準である0.05をさらに100万で割った5×10-8未満という厳しい判定基準を採用して、誤った判断をしないように独自に水準を設定している。

[9] gene-based association analysis
GWASの結果に基づいて、疾患との関連が強いSNPがどの遺伝子に集積しているかを網羅的に検討する統計学的解析手法。

[10] 精密医療
患者を特徴ごとに分類し、それぞれの患者群に合った最適な治療を行う医療のこと。個別化医療(パーソナライズド メディシン)では個人が対象となるが、精密医療(プレシジョン・メディシン)では患者群が対象となる。2015年に、オバマ米国大統領(当時)が「プレシジョン・メディシン・イニシアティブ(精密医療計画)」という言葉を用いて以降、日本においても「精密医療」という言葉が用いられるようになった。