第1回日本人移民船「笠戸丸」が神戸港を出港し、ブラジルのサントス港に着いたのは、1908年6月のことでした。その際乗船していた日系移民は780名余りで、そのうち半数近くの325名が沖縄県出身者でした。
大きな希望を抱いた先駆者でしたが、言葉や文化及び習慣等の違い或いは農園での重労働や原野の開拓といった過酷な環境下により、その暮らしは想像を絶するものがあったとされています。
そのような中において、沖縄県系人達は互いに助け合い、励まし合うため、1926年8月に「球陽協会」の名称で、ブラジル沖縄県人会の前身が発足いたしました。本年は、このブラジル沖縄県人会が発足して100周年目に当たります。
この100周年記念とサンパウロのリベルダーデにあるブラジル沖縄県人会会館の改修の落成式を行うため、令和8年7月30日から8月2日までの間、盛大なイベントがブラジル沖縄県人会(知花ルイ恒三会長)主催で挙行されました。琉球大学からも、招待を受けた、福治友英理事・副学長(喜納育江学長の代理)と山里絹子学長補佐が参加してまいりました。
100周年を記念する式典とあって、沖縄からは、大城肇副知事(玉城デニー知事の代理)、中川京貴県議会議長をはじめとする沖縄県や県議会関係者、関連する首長/議長の方々、南米出身の留学生に強い繋がりのある名桜大学の嘉納英明学長やその一行など総勢60名近くの方々が式典に参加いたしました。
ブラジルの沖縄県人は、その誠実さや勤勉さ、そして互いに支え合う「ユイマール(Yuimaru)」の精神で幾つかの苦難や逆境を乗り越え、今となっては、ブラジル全土の各地に17万人とも言われる方々が暮らしており、37の沖縄県人会支部を擁しています。また、県人達は、医師や実業家等ブラジル社会の様々な分野で活躍しており、一大勢力を担っています。
今回のサンパウロにおける記念式典の参加に当たり、来賓の方々の顔ぶれを拝見するにつけ、当県人会がブラジルの地で根ざし、後世を育成し、ブラジル社会に多大なる貢献をしていることに深く感銘を受けました。また、遠く離れても(ちょうど地球の反対側)、時間が遙かに過ぎようとも、先祖(Uyafafudiウヤファーフジ)を大事にし、沖縄の文化や伝統に対して誇りを持って受け継いでおり、沖縄の当地以上に沖縄がそこにありました。
2027年度には第8回世界のウチナーンチュ大会が開催されます。沖縄の地で再会できることを心よりお持ち申し上げたいと思います。
※ ちなみに、サンパウロにあるブラジル沖縄県人会館の資料室を、県人会のご厚意により、「琉球大学ブラジルサテライトオフィス」とさせて頂いております。
そのネーミングプレートの設置も確認してまいりました。
7月30日 本学から祝い金と記念品(紅型タペストリー)を知花ルイ恒三会長に
贈呈【ブラジル沖縄県人会会館改修落成式にて】 |
ブラジル沖縄県人会(AOKB)会館の玄関
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100周年記念ケーキを囲む参加者の皆さん
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7月31日 ブラジル沖縄県人会創立100周年記念式典の一コマ
(鏡割りの様子)【ブラジル日本文化福祉協会文化ホールに於いて】 |
沖縄県人会会館の資料室が「琉球大学ブラジルサテライトオフィス」になっています
(福治理事、大城副知事、山里学長補佐) |
サテライトオフィス看板プレート
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