研究成果

日本人女性における骨盤臓器脱の遺伝的素因を発見

     琉球大学大学院医学研究科先進ゲノム検査医学講座の松波雅俊助教、今村美菜子准教授、前田士郎教授、システム生理学講座の宮里実教授、腎泌尿器外科学講座の芦刈明日香助教、理化学研究所の寺尾知可史チームリーダー(静岡県立総合病院免疫研究部長、静岡県立大学薬学部特任教授)らの研究チームによる研究成果が、Communications Biologyのオンライン版に掲載されました。

    <発表のポイント>
    • 骨盤臓器脱とは子宮や膀胱などの骨盤内臓器が腟から脱出する女性特有の症状で、軽症例を含めると出産経験がある女性の約4割にも発症するといわれています。

    • 我々の研究チームでは、日本人女性の骨盤臓器脱の遺伝的素因を明らかにする目的で、沖縄バイオインフォメーションバンクおよびバイオバンクジャパンの協力者計77,396名のゲノムDNAを用いて骨盤臓器脱患者を対象としたゲノムワイド関連解析(GWAS)を行いました。

    • 世界初の東アジア人を対象とした骨盤臓器脱のGWASにより、11番染色体のWT1が日本人女性の骨盤臓器脱の疾患感受性に関連することを明らかにしました。

    • 欧米人574,377名のデータとの統合解析の結果、10番染色体のFGFR2と骨盤臓器脱との関連がはじめて明らかになりました。

    • 研究をさらに推進することで、骨盤臓器脱発症の遺伝的リスクを判定できれば、個人のリスクに応じた予防対策が可能になります。さらに、今回の研究で骨盤臓器脱との関連が明らかになったWT1およびFGFR2の疾患発症に関わる詳細な機序を解明することで、新しい予防法や治療法の開発につながります。

    <発表概要>

    【研究の背景】
     骨盤臓器脱(注1)とは、骨盤の底でハンモックのように臓器を支える骨盤底に、持続的重みがかかり、膀胱、子宮、直腸といった骨盤内臓器が腟から脱出する女性に特有の疾患です。出産、加齢、肥満を原因とする骨盤底脆弱性に伴う疾患で、軽症例を含めると出産経験がある女性の約4割にも発症するといわれています。進行すると歩行難、排尿困難、尿失禁、尿路感染症などを引き起こし生活の質が著しく低下します。骨盤臓器脱に対する治療薬はなく、重症化した際の治療の原則は手術となります。したがって、重症化する前の早期発見と重症化予防対策が重要です。
     妊娠、出産や加齢がリスクとなる一方、低リスクとされる未経産婦女性にも骨盤臓器脱が発生することから、遺伝的素因(注2)が関与すると考えられています。しかし、日本人女性の骨盤臓器脱の遺伝的素因をゲノム(注3)全域にわたる全ての遺伝情報から網羅的に探索する研究はこれまで行われていませんでした。

    【研究手法と成果】
     共同研究グループは、沖縄バイオインフォメーションバンク(OBi)(注4)に登録されている40歳以上の女性3,057人のゲノムDNAを用いてDNA配列にみられる個人差であるゲノム多型(以下多型)(注5)と骨盤臓器脱のかかりやすさの関係を網羅的に解析しました。具体的には、骨盤臓器脱を発症した324人、一般集団2,733人のゲノムDNAを用いて、ヒトゲノム全体をカバーする約1000万カ所の多型を用いたゲノムワイド関連解析(GWAS) (注6)を行いました。さらに、バイオバンクジャパン(BBJ)(注7)に登録されている40歳以上の女性のうち、骨盤臓器脱を発症した447人、骨盤臓器脱を発症していない73,892人のゲノムDNAを用いたGWASを行いました。OBiとBBJの解析結果を統合したところ、11番染色体のWT1(注8)と骨盤臓器脱との関連がゲノムワイド水準(p = 5×10-8)(注9)と呼ばれる統計学的な有意水準(統計学的に意味のある水準)を超えていました(図1)。この結果から、WT1が日本人女性の骨盤臓器脱の疾患感受性と関連があることが明らかとなりました。

     欧米の研究グループよりWT1は欧米人女性の骨盤臓器脱と関連することがこれまでに報告されています(注10)。今回の我々の解析結果と既報の欧米人集団の解析結果を比較すると、WT1は日本人女性において特に効果の強い骨盤臓器脱の遺伝的素因であると考えられました(表1)。また、骨盤臓器脱のなりやすさと関係しているWT1のリスクアレルの頻度(注11)は欧米人と日本人では大きく異なり、欧米人の方がより高いことがわかりました(表2)。さらに、WT1のリスクアレル頻度は沖縄地方出身者と本土出身者の間でも異なっており、沖縄地方出身者の方がリスクアレルの頻度が低いことも明らかになりました (表2)。

    表1:WT1と骨盤臓器脱の関連

    表はWT1 [ rs10742277(C/G) リスクアレルC ]と骨盤臓器脱の関連解析の結果を示す。オッズ比はリスクアレルを一つ保有すると何倍骨盤臓器脱のリスクが上昇するかを表す。異質性の検定の結果 P値<0.05であれば、日本人と欧米人では骨盤臓器脱発症に対するWT1のリスクアレルの効果が異なることを示す。

    表2:WT1のリスクアレル頻度

    表は各集団におけるWT1 (rs10742277)のリスクアレル(Cアレル)の頻度(0~1)を示す。

     さらに、新規の骨盤臓器脱感受性ゲノム領域を探索するため、日本人集団のGWASの結果に欧米人574,377人のサンプルを追加したより大規模な解析を行いました。その結果、これまでに骨盤臓器脱との関連が報告されていないFGFR2 (注12)と骨盤臓器脱の関連が明らかになりました(図2)。

    【今後の期待】

     今後、骨盤臓器脱のGWASをさらに推進することで、お一人お一人の骨盤臓器脱発症の遺伝的リスクを判定することが可能になれば、個人のリスクに応じた予防対策を講じる精密医療の実現につながります。具体的には、遺伝的リスクが高いと判断された場合には、骨盤臓器脱を発症あるいは重症化する前に骨盤底筋のトレーニングや肥満・便秘を避けるなどの予防策をとることができます。
     また、本研究により、新たに骨盤臓器脱との関連が明らかになったWT1やFGFR2がどのような機序で骨盤臓器脱発症に関わるか、そのメカニズムを解明することで、骨盤臓器脱の新しい予防法や治療法開発に貢献する可能性があります。

    【謝辞】

     本研究は、沖縄県「沖縄イノベーション・エコシステム共同研究推進事業(先端医療)(プロジェクトリーダー:前田 士郎)、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の女性の健康の包括的支援実用化研究事業の支援による研究開発課題「骨盤臓器脱及び下部尿路疾患の網羅的情報に基づいた選別化と個別化治療」(課題番号 22gk0210025h0003 研究開発代表者:宮里実)により行われました。

    <用語解説>

    [1] 骨盤臓器脱:
    膀胱・子宮・直腸といった骨盤内臓器が腟から脱出する疾患。骨盤の底でハンモックのように臓器を支える靭帯や筋膜、骨盤底筋が出産や加齢、肥満などの後天的原因により脆弱化してしまうことが原因とされてきた。未経産の人、やせている人、40代の若年女性、姉妹・母子で発症する例もみられ、骨盤臓器脱になりやすい体質、すなわち遺伝的素因も関係していることが欧米のゲノム研究の報告から明らかとなってきた。

     [2] 遺伝的素因
    両親より受け継いだ生まれつきの疾患のかかりやすさ(疾患感受性)。生活習慣病をはじめとするありふれた病気(Common Disease)の発症には遺伝的素因と環境要因の両者が関与している。

    [3] ゲノム
    ゲノムとは一つの生命体を形成し維持するのに必要な情報であり、別名生命の設計図とも呼ばれる。ヒトのゲノムは細胞の中に含まれるデオキシリボ核酸(DNA)のことであり、細胞の核にある染色体に主に含まれており、30〜32億文字からなる。この情報すべてをヒトゲノムと呼ぶ。

    [4] 沖縄バイオインフォメーションバンク(OBi)
    琉球大学では沖縄県民の健康・長寿増進を目指して、内閣府、文部科学省沖縄県科学技術振興課の支援を受け、2016年に沖縄バイオインフォメーションバンクを立ち上げた。現在、このプロジェクトの一環として、ゲノムDNAなどの生体試料、ゲノム情報、臨床検査情報等の収集・解析を進めている。2024年6月末時点で26,000人以上の試料収集が完了している。
    http://adgenome.skr.u-ryukyu.ac.jp/%e7%a0%94%e7%a9%b6%e5%86%85%e5%ae%b9/
    https://amrc.skr.u-ryukyu.ac.jp/field/bio/

    [5] ゲノム多型
    ヒトの染色体にある全DNA情報(ヒトゲノム)は、30億にもおよぶ文字の並び(塩基配列)で構成されている。この文字の並びは暗号(遺伝情報)となっており、その99.7%は全人類で共通だが0.3%程度に個人差(ゲノム多型)があることが分かっている。多くのゲノム多型は違っていても影響はないが、一部は病気にかかりやすいことなどに関係していると考えられている。多型の中で最も数が多い一塩基多型(SNP=スニップ)は、その文字の並びが1つだけ異なっているもので、30億塩基の並びの中に1,000万カ所以上存在する(下図)。

    [6] ゲノムワイド関連解析(GWAS)
    疾患感受性遺伝子を見つける代表的な方法。ヒトゲノムを網羅した数百万~1,000万の多型を対象に、対象サンプル群における疾患との因果関係を評価できる。2002年に世界で初めて理化学研究所で実施された手法であり(Ozaki K et al. Nature Genetics, 2002, doi:10.1038/ng1047)、以後世界中で精力的に実施されている。GWASとはGenome-Wide Association Studyの略。

    [7] バイオバンクジャパン(BBJ)
    糖尿病やがんなど様々な疾患を持つ日本人約27万人を対象とした生体試料のバイオバンクで、東京大学医科学研究所内に設置されている。オーダーメイド医療の実現プログラム、ゲノム研究バイオバンク事業などを通じて、ゲノムDNAや血清サンプルを臨床情報とともに収集し、研究者へのデータ提供や分譲を行っている。

    [8] WT1
    11番染色体上のゲノム領域。WT1遺伝子やWT1-AS遺伝子がコードされている。WT1遺伝子の正式名称はWilms Tumor 1で小児に好発する腎腫瘍(Wilms腫瘍)の原因遺伝子として単離された。現在では腎以外の腫瘍との関連も報告されている。WT1-AS (WT1 antisense RNA)はタンパクに翻訳されない非コードRNAで、WT1発現量の調節に関わると報告されている。

    [9] ゲノムワイド水準
    GWASでは数百万~1,000万カ所の多型を対象とした多重検定を行う際に設定する統計的有意水準。実際には、連鎖不平衡と呼ばれる個々のゲノム多型同士の繋がりを考慮して100万カ所のゲノム領域に対する多重検定を行う。

    [10] Pujol-Gualdo, N. et al. Advancing our understanding of genetic risk factors and potential personalized strategies for pelvic organ prolapse. Nat. Commun. 13, 3584. doi: 10.1038/s41467-022-31188-5 (2022)  https://www.nature.com/articles/s41467-022-31188-5

    [11] リスクアレル頻度
    ある集団内において、疾患のなりやすさと関係している対立遺伝子(リスクアレル)を保有している割合。対立遺伝子とは両親から1コピーずつ受け継いだそれぞれの染色体上の同じ位置にある多型や遺伝子のこと。

    [12] FGFR2(Fibroblast Growth Factor Receptor 2、線維芽細胞増殖因子受容体2型)
    FGFR2遺伝子は、血管新生、創傷治癒および胚発生に関与する受容体型チロシンキナーゼファミリーに属しており、骨格の形成に重要な役割を果たすことが知られている。

    <論文情報>
    1. タイトル Genome-Wide Association Studies for Pelvic Organ Prolapse in the Japanese Population(日本人集団を対象とした骨盤臓器脱のゲノムワイド関連解析)
    2. 雑誌名 Communications Biology
    3. 著者 Masatoshi Matsunami, Minako Imamura, Asuka Ashikari, Xiaoxi Liu, Kohei Tomizuka, Keiko Hikino, Kosei Miwa, Katsumi Kadekawa, Tetsuji Suda, The Biobank Japan project, Koichi Matsuda, Minoru Miyazato, Chikashi Terao*, and Shiro Maeda*
    4. DOI番号 10.1038/s42003-024-06875-2
    5. URL https://www.nature.com/articles/s42003-024-06875-2