研究成果

サンゴ礁の大規模破壊は台風の高波によるものではなかった ― 79年の時を経ての発掘

 琉球大学工学部社会基盤デザインコースの仲座栄三教授と工学部4年次の菅沼拓斗さんは、沖縄島東海岸沿いのサンゴ礁海域に存在するサンゴ礁の破壊痕とリーフ上に点在する大きな岩塊が台風に伴う高波の作用によるものではなく、“沖縄戦時の艦砲射撃”によるものであることを、戦後79年目にして発見しました。
 仲座教授らは、1989年に久高島東海岸や沖縄島米須に数多く点在するサンゴ礁岩塊群をはじめて見出し、海岸工学的な観点から、それらのリーフ先端からの距離と質量の関係によって、来襲した波の最大波高を推定できることを論文発表しました。しかし、それら岩塊の発生要因は“最大の謎”として残されていました。
 リーフ先端沖に見られるサンゴ生息域の円形状破壊、リーフ上に点在するサンゴ礁岩塊、リーフ上に見られる円形状陥没痕、海岸断崖の破裂的破壊などの現象が、一貫して説明できなければならなりませんでした。


リーフ上に数多く点在するサンゴ礁岩塊(左:久高島東海岸、右:沖縄島米須海岸)


リーフ先端沖のサンゴ生息域に見られるサンゴ礁破壊痕(直径40mにも達する)

 その後、サンゴ礁地形学及び形態学、サンゴ生態及び環境学、海岸工学、防災工学、岩盤工学的など、科学的な観点から、これらのサンゴ礁破壊や岩塊の発生は台風に伴う高波の作用や津波発生によるものと推測されるようになりました。特に、リーフ上の巨大な岩塊は、高波によって発生したものとされ、“台風石”とも呼ばれてきました。サンゴ礁形態学的には、台風の高波によるサンゴ礁の破壊や、岩塊の堆積による礁池(イノー)の埋没といった観点からの研究も行われるようになりました。これらの成果は論文発表され、沖縄のサンゴ礁海岸の存在は、台風とサンゴ礁形態学の観点から、さらには力学及び防災工学的な観点から、世界的に注目されるようになりました。
 仲座教授らの研究から35年を経て、ついに“謎は解かれ”従来の定説は覆いました。それらの発生要因は、台風に伴う高波ではなく、今から79年前の沖縄戦時の艦砲射撃による砲弾の破裂によるものとの発見に至りました。次に示す写真には、リーフ上に数多くの弾痕を見ることができます。本研究によって、これらサンゴ礁岩塊及びサンゴ礁の破壊痕跡は、“沖縄戦の石”及び“沖縄戦の弾痕”と命名されました。


沖縄島南部米須海岸の南側に見られる艦砲射撃の弾痕


艦砲射撃による断崖の炸裂崩壊(右には、海底にビーチロックの破壊も見られる)


長年その発生要因が謎であったカサカンジャー岩(沖縄本島南部荒崎)


琉球大学長(右)・仲座栄三教授(左)(2024年3月22日)

仲座教授コメント

 1945年の沖縄戦からおよそ80年を迎える今日、沖縄戦の実体験を語る方々も少なくなり、その教訓の継承が課題となっている。“鉄の暴風”と言われる沖縄戦時の艦砲射撃の激しさは、戦時を語る映像フィルムや、写真あるいは資料などで説明さているものの、その砲弾の炸裂の実態を語る実物は、戦後の地表の改変などで殆ど消えてきている。この研究成果は、長年に亘ってそのままの形で存在し続けた“沖縄戦”及び“鉄の暴風”の実態を3次元的にダイナミックな姿として露わにするものである。
 これらは、沖縄戦の実態を語る壮大な規模の戦争遺跡として世界遺産への登録が求められる。また、沖縄戦の記録の実証としての活用をはじめ、沖縄戦の教訓を半永久的に語る教材、観光資源などとして活かされることが期待される。
 科学的な観点からは、沖縄戦の影響を壊滅的なほどに受けたサンゴ礁海域の生態系及び環境の経年的変化を明らかにできる貴重な調査域となり得る。また、海岸工学、地盤工学、岩盤工学などにおける力学的な研究対象として活かされるなど、世界に類をみない調査海域として注目されよう。こうして、本研による発見が沖縄県及び世界に及ぼす波及効果は計り知れないものがある。
 半永久的に残ることになるこれら戦争遺跡に照らされて、鉄の暴風となった沖縄戦が無かったことになる日は来ない。

参考文献

1) 仲座栄三・菅沼匠人:沖縄戦の石及び沖縄瀬の弾痕,沖縄科学防災環境学会論文集 (Coastal Eng.), Vol.9, No.1, pp.1-7, 2024.
2) 仲座栄三・津嘉山正光・松田和人・日野幹雄:リーフ上に打つ上げられたサンゴ礁岩塊位置による歴史大波の推定,日本土木学会,海岸工学論文集,36巻,pp.65-69,1989.

関連サイト

仲座栄三研究室