研究成果

イオン伝導ガラス中のリチウムイオン輸送環境の解明 -Liイオン電荷雲のトポロジカル分析により、ガラス電解質開発に新たな指針-

【概要】
 高輝度光科学研究センター回折散乱推進室の山田大貴研究員、尾原幸治主幹研究員(現:島根大学材料エネルギー学部教授)、廣井慧任期制専任研究員(現:島根大学材料エネルギー学部助教)、大阪公立大学の林晃敏教授、森茂生教授、作田敦准教授、塚崎裕文特任准教授、中島宏特任助教、高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所の池田一貴特別准教授、千葉大学の大窪貴洋准教授、ハンガリー科学アカデミー(ハンガリー)のラスロ・プスタイ科学顧問、ラスロ・テムレイトナー主任研究員、名古屋工業大学の小林亮助教、山形大学の臼杵毅教授、琉球大学の田原周太准教授、東北大学の雨澤浩史教授、物質・材料研究機構の館山佳尚副拠点長らによる共同研究グループは、大型放射光施設SPring-8※1のBL04B2ビームラインにおける高エネルギーX線回折※2および、大強度陽子加速器施設J-PARC※3のBL21 NOVAにおける中性子回折※4を活用することにより、Li3PS4硫化物ガラスにおけるLiイオン輸送環境の解明に成功しました。ガラス中のLiイオン輸送を原子・分子レベルで制御することは、電気自動車向け技術等として期待される全固体電池の実現に向けた鍵となります。固体電解質の有力候補であるLi3PS4ガラスは、理論研究よりLi+の移動とPS43-イオンの振動が連動して生じてLi+が固体中を移動することが提唱されていますが、これまで実験的には明確に把握できていませんでした。

 本研究では、ガラス中に存在するLiイオンの価数をトポロジカル※5に解析するBader法※6により評価することで、Li3PS4ガラスには3種類のLiイオン輸送環境が存在し、より移動性の高いLiイオン(Li3型イオン)は4.0~5.0Å(オングストローム)という比較的長い距離で存在しやすいことを解明しました。さらにスーパーコンピュータ富岳※7を用いた、機械学習を組み込んだ逆モンテカルロシミュレーション※8よりX線、中性子、電子線回折の実験データを再現し、一部結晶化したガラス構造では、このLi3型イオンの増加によりLiイオン輸送特性が向上していることを発見しました。本研究成果は、イオン伝導ガラスの新物質開発や特性の理解を促進し、新しい固体電解質材料の開発に新たな指針を提供するものです。

 本研究成果は、2023年4月3日(月)にWiley社の国際科学誌「Energy & Environmental Materials」に掲載されました。また、本研究は科学研究費助成事業 新学術領域研究「蓄電固体界面科学」の計画研究メンバーが連携して推進しました。

 

【ポイント】
⚫本研究成果は、イオン伝導ガラスの新物質開発や特性の理解を促進し、新しい固体電解質材料の開発に新たな指針を提供するものです。
⚫硫化物ガラスLi3PS4中に存在するLiイオンの電荷雲をトポロジカルに解析し、3種類のLiイオン環境が存在することを解明しました。
⚫液体・非晶質物質の構造解析に用いられる逆モンテカルロ(reverse Monte Carlo, RMC)シミュレーションに機械学習を適用することに成功しました。
⚫本研究は、日本が世界に誇る大規模研究施設である“大型放射光施設SPring-8”、“大強度陽子加速器施設(J-PARC)”、“スーパーコンピュータ「富岳」”から得られた結果を複合的に用いることで、Liイオン輸送特性が向上している一部結晶化したガラスのLiイオン環境の解明に初めて成功しました。

 

【研究の背景】
 1990年代から、硫化物ガラスの開発と材料特性、それを用いた全固体電池に関する研究が世界中で進められてきました。2010年代には室温で液体のイオン伝導率を超える10-2 S cm-1程度のイオン伝導率を持つLi10GeP2S12やLi9.54Si1.74P1.44S11.7Cl0.3が発見されています。また、これらを固体電解質に用いた全固体電池は高性能を有することも報告されました。さらに、高イオン伝導率の固体電解質を開発し、その特徴を活かした全固体電池を新たに見出すことが期待されています。特に、硫化物ガラスは一部結晶化させることでイオン伝導率が向上することが知られているものの、そのイオン伝導性を向上させる要因は解決されていませんでした。

 

【研究の詳細】
 このようなイオン伝導性を向上させる構造的要因は幅広く研究され、2020年に理論研究より硫化物ガラスLi3PS4において、PS4分子アニオン(陰イオン)の回転とLiイオン輸送に強い相関性が見られることが提唱されています。従来、このような回転運動はパドルホイール効果※9として高温において起こることが知られていますが、室温においても発生しているという可能性を示唆するものでした。しかしながら、そのようなアニオンの回転運動は理論研究ではピコ秒スケールで発生しており、実験的に観測することは大変困難です。そこで、本研究グループはそれら理論研究のシミュレーションを詳細に解析し、構造特徴を抽出することを試みました。PS43-アニオン(陰イオン)が回転した際、一番影響を受けるものは周囲に存在する3つのLi+カチオン(陽イオン)です。ゆえに、Liイオンの電荷雲をトポロジカルに解析できるBader法を適用し(図1a)、Liイオン周囲の電荷を積算しその価数の時間変化を確認しました。

 その結果、Liイオンの価数はパドルホイール現象が起こっていなくても、図1bに示すように振動していることを発見しました。周囲にあるイオンの振動によりLiイオンの価数が振動していると考えられます。このLiイオンの価数振動はガラスのほうが大きく、結晶では小さくなります(図1c)。さらに、その電荷雲をトポロジカルに解析し、図1dとeに示すように電荷雲の重心と最も近いLiイオン位置を比較してみると、ガラス・結晶において差はなく、図1fに示すように0.055Åのところに極小を持つような分布が得られ、価数振動が異なる3つのLiイオン環境が存在することを解明しました。その3つの状態の電荷雲を可視化すると、図2のようになります。また、価数振動が大きいLiイオンが4.0~5.0Åの相関を持ってガラス構造中にメッシュ状に分布していることを発見しました。このようなLiイオン同士が常に連動して振動することがLiイオンの共同的なジャンピングを容易にしていることが推測されます。さらに、Liイオン輸送特性が向上している一部結晶化したガラスについて放射光X線(SPring-8)、中性子(J-PARC)、電子線回折の実験データを取得し、機械学習から得られたパラメータ(富岳で取得)を組み込んだ逆モンテカルロシミュレーションからそのガラス構造を評価したところ、この不安定な電荷状態を持つLiイオン数が増加することを発見しました。したがって、分極率や電気陰性度の高いアニオンを組み合わせて、特徴的な価数振動と相関長を持つLiイオンをガラス内に多数内包させることが硫化物ガラスのイオン伝導率を向上させていると考えられます。

 本研究は、固体電解質はLiイオンの輸送を容易にする電荷状況を理想的に構築する必要があることを示しており、ガラス中の分子振動に基づくLiイオン輸送環境の構築が今後特に重要となることを提案しています。さらに本成果は、硫化物ガラスのみならず様々なイオン伝導ガラスの設計および理解に重要な知見であり、今後の固体電解質開発に指針を与えるものです。

 

【論文情報】
掲載誌:Energy & Environmental Materials

題名:Lithium ion transport environment by molecular vibrations in ion-conducting glasses(和訳:イオン伝導ガラスに分子振動によるリチウムイオン輸送環境)

著者:Hiroki Yamada, Koji Ohara,* Satoshi Hiroi, Atsushi Sakuda, Kazutaka Ikeda, Takahiro Ohkubo, Kengo Nakada, Hirofumi Tsukasaki, Hiroshi Nakajima, Laszlo Temleitner, Laszlo Pusztai, Shunsuke Ariga, Aoto Matsuo, Jiong Ding, Takumi Nakano, Takuya Kimura, Ryo Kobayashi, Takeshi Usuki, Shuta Tahara, Koji Amezawa, Yoshitaka Tateyama, Shigeo Mori, and Akitoshi Hayashi*

DOI:10.1002/eem2.12612

URL:https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/eem2.12612

 

【研究サポート】
科研費新学術領域研究(研究領域型)(課題番号:19H0814, 19H0815, 19H0816)
科研費基盤研究(B)(課題番号:20H02430, 21H02038)
科研費基盤研究(C)(課題番号:19K05025)
スーパーコンピュータ「富岳」と「スーパーコンピュータシステムITO」の計算資源の提供を受け、実施(課題番号:hp210335およびhp220039)

 

【参考情報】

図1:Bader電荷分析法で評価したLiイオンの環境。(a) Li2S-P2S5結晶のBader法から得られたLiイオンの電荷密度。(b) Liイオンの1.6psの間の平均価数振動と分散。(c) ガラス相※10、結晶β相、結晶γ相のLiイオンの平均価数と分散の相関。(d) Bader解析で得られる距離情報。 (e) 1.6ps間のLiイオン位置と電荷雲重心の平均距離と分散。(f) ガラス相、結晶相各々のLiイオン位置と電荷雲重心の平均距離と分散の相関関係。


図2:Liイオンの電荷雲をトポロジカルに解析できるBader法によるLiイオンの分類:(a)Li1型:Liイオン位置と電荷雲重心の距離<0.045Å、(b)Li2型:距離=0.045〜0.065Å、(c)Li3型:距離<0.065Å

 

【用語解説】
※1.大型放射光施設SPring-8
理化学研究所が所有する、兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す大型放射光施設で、利用者支援等はJASRIが行っています。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。SPring-8では、放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。

※2.X線回折
X線を材料に照射し、その材料特有の回折パターンを調べ、構造解析を行う実験手法のこと。

※3.大強度陽子加速器施設(J-PARC)
高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構が茨城県東海村で共同運営している大型研究施設で、素粒子物理学、原子核物理学、物性物理学、化学、材料科学、生物学などの学術的な研究から産業分野への応用研究まで、広範囲の分野での世界最先端の研究が行われています。J-PARC内の物質・生命科学実験施設では、世界最高強度のミュオン及び中性子ビームを用いた研究が行われており、世界中から研究者が集まっています。

※4.中性子回折
中性子線の回折を利用して物質の結晶構造や磁気構造を調べる測定手法。X線回折ではX線が外殻電子によって散乱するのに対し、中性子回折では、原子核が散乱に関与します。このため、X線では検出しにくい水素やリチウムなどの軽元素の情報を得るのに適しています。本研究では、中性子回折を用いてLi3PS4に含まれる Liの位置を決定しています。

※5.トポロジカル
位相幾何学、図形の抽象的な性質や空間の様態を研究する数学の一分野(トポロジー)を用いること。

※6.Bader法
Richard F.W.Bader博士が提案した電子密度のトポロジーを解析する手法です。ある面を通る電子密度の勾配がゼロの面で空間を分割することで、電子密度(あるいは電荷密度)を分類することができます。

※7.スーパーコンピュータ「富岳」
スーパーコンピュータ「京」の後継機として理化学研究所が整備を進めてきた計算機で、2020 年4月から先行して成果創出加速プログラムなどの運用を開始、2021 年 3 月 9 日に共用を開始した。2021 年 11 月のスパコン性能ランキングでは「TOP500」と「HPL-AI」を含め 4 期連続 4 冠を達成し、2022 年 11 月のスパコン性能ランキングでも「HPCG」、「Graph500」において 6 期連続の世界第 1 位を獲得しており、世界トップクラスの性能を持ちます。(「富岳」については、理化学研究所計算科学研究センターHP https://www.r-ccs.riken.jp/jp/fugaku をご覧ください。)

※8.機械学習を組み込んだ逆モンテカルロシミュレーション
逆モンテカルロシミュレーションとは、原子をX線回折・中性子回折等の実験データを再現するようランダムに動かし、構造モデルを得る手法です。原子は対象とする物質の密度を持つように立方体セル中に配置されます。この手法の改良として、原子を単にランダムに動かすのではなく、ポテンシャルエネルギーを組み込む試みがあります。しかし、経験的ポテンシャルエネルギーでは精度が悪く、非経験的なものでは精度が高い代わりに計算コストが莫大になる困難性があります。本研究ではこの困難性に対して、非経験的に求めた第一原理ポテンシャルエネルギーを機械学習させることで計算コストを劇的に削減する、というアプローチを組み合わせる手法を新たに開発しました。なお、本手法は筆頭著者の山田大貴が2021年10月から12月の期間に、科研費新学術領域研究「蓄電固体界面科学」の国際ラボ留学制度を利用し、ハンガリーのL. Pusztai博士の元を訪れ、議論・開発を通じて実装したものです。

※9.パドルホイール効果
水車や羽根車のように、ホイールの周囲に多数のパドルが設置され、そのパドルの回転により動力を得る効果。本研究では、PS43-アニオン(陰イオン)が回転することによりLiイオンが輸送されている現象を指しています。

※10.相
ある境界をもち、その境界内では一定の状態を示す物質の状態をいう。例えば、固体は固相、液体は液相、気体は気相とも言う。また各相の中においても状態が異なる場合、それらをαβγ相と分類する。