研究成果

ゲノム解析によって明らかになった宮古諸島の人々の由来

 琉球大学大学院医学研究科の松波雅俊助教、今村美菜子准教授、木村亮介准教授、石田肇教授、前田士郎教授、同大学医学部先端医学研究センターの小金渕佳江特命助教(現・東京大学)の研究チームによる研究成果が、進化生物学の学術雑誌「Molecular Biology and Evolution」誌に掲載されました。

<発表のポイント>
  • 内閣府、文部科学省、沖縄県の支援を受けた沖縄バイオインフォメーションバンクプロジェクトの一環として宮古諸島住民の協力を得て1240名のゲノム解析を行った。
  • 集団遺伝解析により、宮古諸島出身者は、宮古島北東部・宮古島南西部・池間/伊良部島の3つの集団に分類されることがわかった。宮古諸島のような比較的狭い地域の住民が複数の集団に分類される例は世界的にも類を見ない。
  • 池間/伊良部集団は、グスク時代の外部からの移住に由来し、過去に急激な人口の減少を経験している。この減少は明和の大津波による被害を反映している可能性がある。
  • 宮古島北東部および宮古島南西部集団は、外部との遺伝的交流があり、琉球王朝時代前後に沖縄島集団と分化したと推定される。
  • これらの成果は、琉球列島出身者の由来や過去の歴史を考える上で重要であるだけでなく、沖縄県民の個別化医療を推進するためにも有益な情報となる。

<発表概要>
① 研究の背景

 琉球列島・宮古諸島の人々の集団史:琉球列島は、日本の南端に位置し、奄美諸島、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島などからなります。このうち、宮古諸島は、沖縄諸島と八重山諸島の間に位置し、主に八つの島々(池間島、伊良部島、来間島、水納島、宮古島、大神島、下地島、多良間島)からなります(図1)。


図1.宮古諸島の位置と構成する島々

 宮古島では、ピンザアブ洞人と呼ばれる約26,000年前の人骨が発掘されており、その後、無土器時代(約2500-900年前)、グスク時代(約900-500年前)、琉球王朝時代などを経て現在に至ります。2014年に琉球大学を中心とした研究グループは、琉球列島の沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島出身者の1塩基多型(注2)を解析し、近隣出身者の集団と比較しました。その結果、沖縄・宮古・八重山集団は、互いに祖先を共有する集団であり、隣接する台湾先住民との間には直接の遺伝的繋がりはないこと、現代人に繋がる宮古諸島への人の移住は古くても1万年前以降に起こったと推定しました(Sato et al. 2014; 注 3)。したがって、約26,000年前の古代人骨であるピンザアブ洞人は、現在の宮古諸島の人々の祖先ではないと推測され、宮古諸島内に現在居住する人々の由来については不明でした。

 沖縄バイオインフォメーションバンクプロジェクト:琉球大学では沖縄県民の健康・長寿増進を目指して、内閣府、文部科学省、沖縄県の支援を受け、2016年に沖縄バイオインフォメーションバンクを立ち上げました。現在、このプロジェクトの一環として、ゲノムDNA(注1)などの生体試料、ゲノム情報、臨床検査情報等の収集・解析を進めています。このバイオバンク(注4)は2万人を目標としてゲノムDNA、血漿、健康診断情報、診療情報を統合した資源の構築を行っており、2020年12月末時点で約18,000人の試料収集が完了しています。

② 研究内容

 前田教授らの共同研究チームは、沖縄バイオインフォメーションバンクプロジェクトで集められた試料のうち、2016-2017年にかけて宮古島で収集した1240名について60万個を超える一塩基多型(SNP)(注2)を解析し、そのなかに刻まれている情報を集団遺伝学的解析により調べました。

 宮古諸島の高精度集団遺伝構造解析:得られたSNP情報を用いて主成分分析(注5)を行い、どのような集団が見られるかを調べたところ、先行研究と同様に沖縄本島と宮古諸島は遺伝学的に独立の集団を形成することが確認され、さらに宮古諸島内においても地域によって違いがあると推察されました(図2)。このような違いの理由は明らかではありませんが、宮古諸島で過去に課せられていた人頭税(注6)とそれに付随する移住の制限が諸島内での遺伝的分化を促進したことが、可能性の一つとして考えられます。世界的に見ても、宮古諸島程度の比較的狭い地域の中で複数の遺伝背景の異なる集団が存在する事は例がなく、研究チームにとって大きな驚きでした。


図2. 宮古諸島で集めた検体を用いた主成分分析。一つ一つの点が個人を表しており、点と点との距離は遺伝学的な違いを反映している。近い点ほど遺伝学的には近縁である。この図では出身地により色分けをして表示している。


図3.ハプロタイプ情報に基づく解析結果。左図は、個人個人が縦に並べられており、赤色、緑色、青色の3集団に分かれている。右図では、各々の出生地情報を元にそれぞれの地区の出身者がどの集団に属しているかを調べて、その数を楕円の大きさで表している。この結果から赤色の集団は宮古島北東、緑色の集団は宮古島南西、青色の集団は池間/伊良部出身者である事がわかる。例外として西原に青色の集団が存在している(本文参照)。

 宮古諸島内での多様性について詳しく調べるために、つぎに、SNPsの組み合わせで構成されるハプロタイプ(注7)の情報を用いてさらに詳細な解析を実施しました。その結果、宮古諸島出身者は、宮古島北東部(平良、城辺)・宮古島南西部(下地、上野)・池間/伊良部島の3つの集団に分かれることがわかりました(図3)。しかしながら、不思議な事に池間/伊良部島集団と同じ特徴を持つ集団が宮古島平良の西原地区にも分布していました。この結果が得られた後に史実を調べてみると西原地区は1873年に池間島からの移住による村立て(注8)によって作られた地区であり、本研究より得られた情報は、過去の諸島内の人の移動を反映していることがわかりました。

 地域集団の人口動態の変化:現在の宮古諸島出身者のゲノム情報をもとに過去の人口動態を推察する事も可能です。宮古諸島内の3つの集団の人口動態について解析したところ、宮古島の集団は人口がほぼ単調か増加している一方で、池間/伊良部島の集団は、約10-15世代前(250-300年前)に人口の大きな減少を経験していることが推定されました(図4)。


図4.ハプロタイプ情報に基づく集団ごとの人口動態の推定。縦軸が推定人口を表し、横軸が現在から遡った世代を表している。1世代を25-30年と仮定すると池間/伊良部集団では250-300年前に大きな人口の減少が起こっている。

 このような急激な人口減少の理由として、断定はできませんが1771年に起こった明和の大地震とそれに伴う大津波(注9)が挙げられます。この大津波の後には、頻繁に強制移住がおこなわれていたことが文献に記載されており、これらの出来事がこの急激な人口減少の原因かもしれません。

 宮古諸島外の集団との交流の推定:宮古諸島内のこのような多様性には、諸島外の人々との交流も関係しているのでしょうか?この疑問を解決するために、SNP情報からパターソンのD統計量(注10)により、遺伝情報の流れ(gene flow)を推定しました。縄文、沖縄島、本土日本、中国の各集団と宮古諸島の集団を比較したところ、起源となる集団は特定できませんでしたが、宮古島の集団は沖縄島などの外部からの遺伝的交流の影響があることがわかりました。一方、池間/伊良部島の集団についてはそのような遺伝的交流については痕跡に乏しく未だ詳細は明らかではありません。


図5.シミュレーション結果。カッコ内は推定された集団サイズを表す。祖先琉球集団から、池間/伊良部集団、宮古島南西部集団の分岐はそれぞれ約38-57、約10-27世代前と推定され、宮古島北東部集団と沖縄本島の集団は、約2-18世代前に分化したと推定されました。

 シミュレーションによる集団史の推定:これらの結果を総合して、仮定した進化モデルを、シミュレーション解析を実施し、過去の集団サイズの変遷や各集団の分岐年代、集団間の移住率を推定しました(図5)。解析の結果、池間/伊良部集団と宮古島南西部集団がそれぞれ約57-38世代前(約1710-950年前)、約27-10世代前(約810-250年前)に祖先琉球集団から分岐し、宮古島北東部集団と沖縄島の集団は、約18-2世代前(約540-60年前)に分化したと推定されました。したがって、宮古諸島への移住には2つの大きな波があり、池間/伊良部集団は、おそらくグスク時代の外部からの移住に由来し、宮古島集団は外部からの遺伝的影響が大きく、琉球王朝時代前後に沖縄島集団と分化したと考えられます。この結果は、1630年に宮古諸島への移住が薩摩藩によって制限されたという歴史的記録と一致しています。

③ 社会的意義・今後の予定

 本研究で、ゲノム情報に刻まれた宮古諸島人の過去の歴史を明らかにしました。得られた成果は、琉球列島人の由来や過去の歴史を考える上で重要であり、遺伝学のみならず、琉球列島における言語学・考古学研究にも大きな波及効果をもたらすと期待されます。しかし、未解決な点もあり、さらに解析の精度を上げるにはすべての遺伝子多型を網羅的に解析することができる全ゲノム配列の情報が不可欠です。
 一方、ゲノム情報は個人の体質に合わせた個別化医療に役立つ事がわかっています。欧米人や本土日本人では実用化が現実味を帯びていますが、遺伝背景が異なる集団では独自の情報が必要です。したがって沖縄県民の個別化医療の実現のためには沖縄県出身者の特徴を明らかにする必要があります。さらに沖縄県出身者のような比較的小さい独特の特徴を持つ集団では他の集団では知る事のできない疾患の原因となるゲノム情報が得られる可能性があります。今後、沖縄バイオインフォメーションバンクで得られた臨床情報とゲノム情報を統合的に解析することで、琉球列島人のゲノムに潜んでいる疾患に関連するゲノム領域が同定され、沖縄県出身者のみならず、世界中の同じ疾患で苦しむ患者さんにとって役立つ成果となる事が期待されます。

 <用語解説>

(注1)ゲノムDNA
ゲノムとは一つの生命体を形成し維持するのに必要な情報であり、別名生命の設計図とも呼ばれる。ヒトのゲノムは細胞の中に含まれるデオキシリボ核酸(DNA)のことであり、細胞の核にある染色体に主に含まれており、30〜32億文字からなる。この情報すべてをヒトゲノムと呼ぶ。
(注2) Single nucleotide polymorphism(1塩基多型):英語の頭文字をとってSNP(スニップ)とも呼ぶ。30〜32億のヒトゲノムの並び(配列)は全人類で99.5%以上は同じであるが、わずかな個人差も存在している。様々な個人差の中で、1文字の違いのあるところをスニップという(下図)。ヒトゲノム上には1000万カ所以上のスニップがある事がわかっている。

(注3)琉球大学 平成26年9月16日プレスリリース:「ゲノム多様性データから明らかになった先史琉球列島人の移動」
(注4)バイオバンク:ヒト生体試料(組織、細胞、血液、ゲノムDNAなど)を医療情報とともに保存し提供する機関。

(注5)主成分分析:集団遺伝学で用いられる手法の一つ。本研究の主成分分析は大量のSNP情報から個人間の遺伝学的な違い(距離)を視覚可能な次元に落とし込んでいる。
(注6)人頭税:税制の一種で、住民全てに対して一定額の税を徴収する制度。宮古島では、琉球王朝が薩摩藩に征服された1611年から15-50歳の成人に対して導入され、1903年まで施行されていた。
(注7)ハプロタイプ:ゲノムDNAの中の近傍に位置する複数のスニップ等の個人差の組み合わせ(一つながりの遺伝的バリエーション)を言う(下図)。親から子へ遺伝情報が伝わる際には、一塊のハプロタイプ情報が受け継がれる。ハプロタイプが個人間で共有されている場合、その起原を祖先に遡ることができ、それを元に最近の集団史を推定することができる。

この図ではSNP1はAとGの個人差、SNP2はCとTの個人差、SNP3はAとGの個人差を示している。SNP1とSNP2は一塊で受け継がれているがSNP3はAが受け継がれるのか、Gが受け継がれるのかは決まっていない。このとき4種類のハプロタイプが子に受け継がれる可能性がある。
(注8)村立て:先島諸島では、災害や人口増加のために移住して新たな集落を作ることが頻繁におこなわれており、村立てと呼ばれた。
(注9)明和の大地震:1771年に八重山列島沖で起こったマグニチュード7.4-8.7の大地震。地震後には、大津波が先島諸島に押し寄せた。宮古諸島では、これらの災害で2548名が死亡したと文献に記載されている。
(注10)パターソンのD統計量:ABBA-BABAテストとも呼ばれる。4集団間のゲノム情報を比較して、集団間の関係性を調べる手法。集団間の遺伝情報の流れ(gene flow)を検出することができる(下図)。

集団Xと集団Yと起源集団との関係を調べる。D統計量が負の場合は起源集団から集団Xへ、正の場合は集団Yへの遺伝情報の流れがあると判断する。

<謝辞>

 本研究は文部科学省科研費・新学術領域ヤポネシアゲノム(18H05506 to M.M. and 19H05349 to R.K.)、琉球大学・亜熱帯島嶼の時空間ゲノムプロジェクト、同大・沖縄バイオインフォメーションバンクプロジェクト、沖縄県・先端医療実用化推進事業の支援を受けて実施されました。

<論文情報>
  1.  論文タイトル:Fine-scale genetic structure and demographic history in the Miyako Islands of the Ryukyu Archipelago(琉球列島宮古諸島における高精度集団遺伝構造と人口動態)
  2.  雑誌名:Molecular Biology and Evolution
  3.  著者:Masatoshi Matsunami, Kae Koganebuchi, Minako Imamura, Hajime Ishida, Ryosuke Kimura, Shiro Maeda*
  4.  DOI番号:10.1093/molbev/msab005
  5. アブストラクトURL:https://doi.org/10.1093/molbev/msab005