1. ホーム
  2. 沖縄県系人コミュニティのグローバル・パワー

沖縄県系人コミュニティのグローバル・パワー

2018年10月15日掲載


盛夏の8月上旬、地球の反対側のブラジル、アルゼンチン、ボリビアの3か国を訪問する機会がありました。用務は、第22回WUB世界大会in Brasiliaへの参加と3か国の沖縄県人会の移民関連記念行事への参加、県人会と琉大の連携協定の協議、そして地元の大学との包括連携協定の協議及び締結でした。

沖縄県のまとめによると、世界のウチナーンチュ約36万人のうち、今回訪問した3カ国の合計は約20万人で、約17万人がブラジルで暮らしているそうです。ご承知のとおり、ブラジルとアルゼンチンへのウチナーンチュ(沖縄県系人)の移民は、1908年の笠戸丸での移民が始まりです。ボリビアへのウチナーンチュは、ペルーへの移民(1906年)の中から7名が1908年にアンデス山脈を越えて天然ゴム園で働いたのが最初である、と言われています。同時期に、ブラジル、アルゼンチン、ボリビアでは、沖縄県人移民110周年記念式典と沖縄県人開拓先亡者慰霊法要及び関連事業が併せて執り行われました。一連のイベントへの参加を通して、沖縄県系人コミュニティのグローバル・パワーを実感することができました。

沖縄県からの海外移民については、その要因や影響等に関する調査研究は数多くあります。その中からかいつまんで列記すると、①琉球王国時代の海外交易などの歴史的経験によって県人の海外雄飛の精神が培われたこと、②太平洋戦争前後の沖縄経済社会は困窮・疲弊しており、戦前は移民先からの送金によって、戦後は物資の援助等によって郷里の復興に海外移民の人々が大きく貢献したこと、③県内各市町村の出身地を単位とした、海外移民と県民との交流が今でも盛んで国際交流が重層的に行われている、などを挙げることができます。 3回目の訪問となるブラジルで印象的だったのは、サンパウロ州議会がわざわざ沖縄県人移民110周年特別議会を招集したことでした。同特別議会において、長寿者や功労者の表彰も行われました。ブラジルでは、サンパウロ大学を訪問し、国際交流担当副学長ら関係者と意見交換を行い、今後、交流協定の再締結を視野に入れた学術交流を推進することになりました。

2つめの訪問国であるアルゼンチンでは、ブエノスアイレス州ラプラタ市にある国立ラプラタ大学を訪問し、大学間交流協定及び学生交流覚書を締結しました。また、お世話になった同大学の沖縄県系の小那覇セシリア教授(法学・社会科学部国際関係研究所アジア太平洋地域研究科長)と今後の学術交流について有意義な意見交換を行うことができました。

初訪問となったボリビアでは、JICAボリビア事務所、サンタクルス市内のガブリエル・レネ・モレノ国立自治大学、そしてサンタクルス私立大学の関係者との懇談も行い、今後の連携協力に展望が開けました。

人口約1,100万人のボリビアの中に、人口1,000人弱の「コロニア・オキナワ」が行政区(村)として存在します。現地の方に従うと、地球儀の上でオキナワが2つあるということになります。2世の方が経営する広大な農場や共同の製粉工場を見せてもらいましたが、ここでも沖縄県系人の大きなパワーが実感できました。

本学では、第3期中期目標・中期計画の中で海外沖縄県系人ネットワークとの連携推進を掲げていて、県人会との意見交換は、今回の3か国訪問の目的の一つでもありました。それぞれの国で、ブラジル県人会の島袋栄喜会長と関係者、アルゼンチン沖縄県人連合会の玉城智会長と関係者、ボリビア沖縄県人会の比嘉徹会長と現地学校長・教員を含む関係者と意見交換・懇談を行うことができました。記念式典を中心とした関連イベントの準備で多忙な中、わざわざ時間をとっていただきました。感謝に堪えないところです。現地県人会とは、沖縄県系人学生の留学受入や文化交流等の推進について、連携を強めていくことを確認しました。

1世紀以上の時を経て、沖縄県系人のコミュニティが、南米において現地の社会からの信任を得て、そこに根付いています。もちろん、南米のウチナーンチュ・コミュニティにも多くの課題があります。沖縄アイデンティティへの対応や日系子弟に対する日本語教育の問題などがあることを伺いました。

ここに、琉球大学が海外のウチナーンチュ・コミュニティに対して貢献できる分野があります。現に、琉大の卒業生が現地で日本語教師として活躍しているのを目の当たりにし、とても心強く思いました。同時に、2年前の第6回世界のウチナーンチュ大会を機に、「沖縄語・ポルトガル語辞典」と「沖縄語・スペイン語辞典」を発刊して南米の県人会へ頒布した琉大には、とても親近感を持っていただいていることを実感しました。

沖縄との時差が12時間もあり、季節も正反対の南米への出張でしたが、県人会や現地の大学との連携協定の協議を行うことができたのは、大きな収穫でした。今後、南米の大学やウチナーンチュ・コミュニティとの交流を具体的にかつ切れ目なく推進していかねばと心に誓った旅でした。