上海から見た日本の印象

◆1日目 12/7(日)

当初、那覇空港からの上海直行便を予定していたがフライト便のキャンセルのため、関西空港経由へと変更を強いられる。 到着までの所要時間はその倍以上を要したため、上海への距離感はそれほど近いという感覚はなかった。予定通りであれば東京などへ移動するのとあまり変わらないと言われていたのだが...

上海市の東側沿岸・東浦国際空港に到着後、目に入ったのは曇天のためかくすんだ色の空だった。出口で今回の現地コーディネーターと合流し、世界初のリニア交通システム「マグレブ」(上海トランスラピッド)にて最高時速430Km/hを体験しながら、終点の龍陽路駅へ。駅からはタクシーに乗り継ぎホテルへと向かった。

世界初のリニア交通システム「マグレブ」の車内 龍陽路駅 くすんだ空の景色

◆2日目 12/8(月)

翌朝8時に上海体育館に隣接したホテル玄関より、手配したチャーターワゴン車に乗り込み、上海市内の聞きしに勝る交通混雑を横目に、高架の都市高速道路を約1時間余り走行し、下町の風情を残すエリアにある最初の訪問校、国立の上海甘泉外国語中学を訪ねた。
同校は1954年設立の日本語を第一外国語とする中高一貫校としては上海で最も歴史のある学校とのこと。

日本の中学と高校生にあたる在校生約1700人のうち半数が日本語学習者で上海市最大の規模らしい。紹介パンフにも「未来の親日家の揺籃」と我が国のマスコミに紹介されたらしく、日本を中心に韓国、英国、豪州、独逸、仏国などとも交流が盛んな様子である。

それを物語るように事務室の室名札や案内表示板には日本語表記が随所で見られた。沖縄ともエイサーでの交流があり、近年訪問時には太鼓を寄贈されたとのエピソードを聞かされる。

車で移動して午後に訪問したのは、2番目の訪問校、上海師範大学 天華学院である。
キャンパスに車で乗り付けてゲートを入ると、「ガーデンキャンパス」と言われる計画整備された美しい敷地の中の電光掲示板に、いきなり我々への歓迎のメッセージが流れているのを発見して驚く。天華学院は2005年4月に創設された新しい大学で、6学部19学科を持ち、まだ完成年次を迎えていない。校舎に隣接する学生寮の増築工事が目についた。学生数は全員入寮が条件らしく6600人の収容を予定しているとのこと。名門校である上海師範大学の名前を冠に掲げているのは、イメージ・アップを狙ったブランド戦略らしい。中国でも幼児教育がマーケットとして大きいらしく、教育学部との交流に期待が大きい。また日本語学科卒業生の就職は(日系企業の求人も多く)有望視しているようである。

3番目の訪問先は、上海外国語大学である。上海外国語大学は、旧市内から高速道路で約2時間の距離に位置する「上海大学城」といわれる数多くの大学が林立する郊外の文教エリアに移転している。

上海甘泉外国語中学の教室 上海師範大学 天華学院のキャンパス 上海師範大学 天華学院での記念写真

◆3日目 12/9(火)

上海2日目は、4番目の訪問先である早稲田大学上海事務所を訪ねた。

早稲田大学上海事務所は、復旦大学のキャンパスに新設されたジャーナリズム学部校舎の5階にあり、そのワンフロアを占有している。復旦大学は、北京大学、清華大学に次ぐ名門校で、また、故周恩来首相の出身校としても有名である。
中国と歴史的なつながりを持ち、伝統を活かすことで現地でも高い人気を誇っている様子が伝わってくる。留学へのハードルは高く、質も高い学生を獲得しているらしい。大いに参考となる。

隣接する広大なキャンパスを横断しながら、5番目の訪問先、復旦大学留学生室を訪ねる。

復旦大学において意見交換を行った。対応頂いた朱さんは、京都大学大学院に留学経験を持ち、流暢な日本語を操るため、通訳不要で突っ込んだ質問にも率直に回答いただけた。スタッフの人となりや、そのスキルに魅了されて大学のイメージは形成されることを実感した。

2日目の最後の訪問先である6校目は、日本人が経営する上海中野日本語学校である。

古賀副校長の説明によると、上海の日本語学校において唯一の特徴は、教員全員が日本人であるらしい。 上海中野日本語学校の創始者である中野與之助がオイスカ*の理事長をつとめている。
2006年までは、生徒数が年間300名ほどいたが、昨年から教員が確保できず、半分ほどに減っているとのこと。教育の特長は「習うより慣れろ」方式で、直説法を採用している。

日本留学希望者の4~5割が良い仕事に就くためのステップアップ、あるいは結婚して生活を日本で行うためである。日本語学校生には安徽省出身者が多く、純朴でまじめである。 私立大の東京農業大学と提携している。なお、日本留学でネックとなるのは、日本語1級を資格とするところがあり、今から学んで大丈夫か?(=ついていけるか?)といったところ。生徒にはハングリー精神はあるが、日本への留学には経済面の壁も大きいと思う。
*黒田教綬による後註;オイスカ(OISCA:The Organization for Industrial、 Spiritual and Cultural Advancement-International)財団法人オイスカ(以下、オイスカ)は、1969年にオイスカ・インターナショナルの基本理念を具体的な活動によって推進する機関として生まれ、主にアジア・太平洋地域で農村開発や環境保全活動を展開している。

上海甘泉外国語中学の教室 復旦大学の受付

◆4日目 12/10(水)

調査最終日は7番目の訪問校として、上海師範大学旅行学院・上海旅遊高等専科学校をたずねた。

上海旅遊高等専科学校では、日本語学習者への「留日説明会」を実施した。日本における大学事例紹介の1つとして、本学の特色と概要説明をした。特に関心の高い、観光産業科学部の紹介を中心に、設置予定の大学院研究科の告知をした。約30名の参加者は、通訳を介しての説明に関心を示していた。沖縄については自然の美しさや癒しのイメージを知悉している様子である。沖縄を身近に感じ、憧れを抱いている様子であった。アンケート調査後、質疑応答に参加するため、居残る中に女子が多く目立つのは、日中両国共通の傾向であろうか。

上海師範大学旅行学院・上海旅遊高等専科学校 オリエンテーション風景 大学概要の説明風景

◆5日目 12/11(木)

この日は日本への移動だけである。少ない日程でハードスケジュールであったが現地コーディネーターのサポートもあり効率よく学校を視察することができたことに感謝する。

今回の調査滞在中、本学への留学希望者(学部研究生として留学希望)がホテルを訪ねて来た。面談の結果、その留学希望学生は、入学条件を満たしているにもかかわらず、琉大留学に向けた事務手続き等へのアプローチの方法がわからずに悩んでいることが判明した。このような事例が外にも数多くあるとすれば、見過ごすことのできない問題をはらんでいるといえよう。

本学がこれから先、誇りと独自性を持った大学として生き残っていくためには、本土からの学生以外に、海外からの入学者の比率を高めることが重要である。今回の調査は“守礼の門”の如く、門戸の開かれた大学としての名声を引き上げることの大切さについて深く考えさせられる旅行でもあった。

上海市内の通勤風景 上海のスターバックス 上海市内の繁華街

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